Piccolo Mondoの部屋

Yahooブログから引っ越して来ました。30年から50年前の「古い車」や「ミニカー」の事をお話しさせて頂きます。 老人のたわごととしてお聞き下さい。

2012年10月

今日、久々にジャガーに乗って、北軽井沢まで出向いた。
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7月に乗って以来、3か月ぶり、この夏の猛暑の時「ジャガー君」はガレージで眠っていた。
一昨日、バッテリーをチャージし、昨晩エンジンを掛けると、一発で目覚めてくれた。
今日はタイヤの空気圧をチェックし、早速北軽井沢へ向けて出発、環状8号の渋滞も問題無く、関越に入ると、エンジンは絶好調そのもの、軽井沢のICまで1時間ちょっとで到着した。
今日は一人旅、久々のジャガー君、語りかける様に走る。
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このXJSは1993年式、約20年前の車である。エンジンは6気筒の4000CC、日本には12気筒が数多く入っている。6気筒のコンバーチブルは希少で、見つけるのに時間が掛り、数年前にようやく手に入れた。

私が6気筒にこだわったのは、12気筒のジャガーにはいい思い出が無いからだ。
昔、友人の12気筒のEタイプに乗った時、何度もトラブルに見舞われた苦い思い出、
それと、XJSの12気筒は頭が重い、パワーは有るが、機敏さは6気筒の方が上、
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12気筒はGMのそして私の6気筒はZFの4速トランスミッションである。
シフトレバーは今にも折れそうな細いのも当時のジャガーの特徴
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ジャガーは「猫足」と言われるが、このXJSもその猫足を若干固めた仕様、何より、この車はFORDでも無ければインドのタタでも無い、純粋のジャガーである。
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何の因果か、昔大英帝国の植民地だったインドにジャガーが身売りとは、

このモデルのシートは本皮では無く、ハーフレザーシート、よって、残念ながらコノリーの香りは殆どしない。
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また、こんなに大きなボディーなのにリアシートは無い
シートの代わりに大きな荷物入れがある。
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XJSはサルーンのシャーシを切り詰めたもの。フロントはダブルウイッシュボーン、リヤーはショックを左右2本づつ備えているのもサルーンと同じだが、若干チューニングされている。

軽井沢ICを下りて、峠道を走る。コーナーでも頭が流れる事も無く、インに「スー」と向いてくれる。
この様な大きなボディーでもロールも少なく、結構スイスイとコーナーを曲がってくれる。
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私が古い車に乗る時に気を付けている事は、決して無理な運転をしない事、急発進や急停止は極力控える。
また、コーナーを回る時は、回る直前にその方向へ少しハンドルを切って、姿勢を変えてから大きくステアリングを回すようにしている。
車と対話をしながら走っている。・・・・車から返事は無いが。
私は決して運転がうまいとは思っていないが、今のところ車が大きく壊れる事も無いのは、この様に常日頃心がけているからだと思う。

最近のレーサーの運転を見ていると、「運転が荒っぽいなぁ」と感じてしまう。

今日は、久々のジャガー君、紅葉の軽井沢を堪能した。
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ガレージには半年以上動かしていない、ボルボ君がいる。
今度戻ったら、箱根でもドライブしよう。

ブログ更新が何かと多忙で遅くなってしまった。

 

108日、9日の話しの続きを記します。

8日は只見観光協会の紹介で宿泊場所を確保出来、一安心、早速只見駅を見学した。

只見線は10月から小出・只見間が開通したが、一日3往復のみである。

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次の電車は午後635分との事、夕食前に電車を見る事とした。

早速、民宿の「只見荘」にチェックイン、民宿とは言いながら設備は普通の旅館以上、特に大浴場や洗面所は改築され綺麗で清潔感溢れていた。

何よりこの民宿のご主人と奥さんの人柄が素晴らしかった。暫くロビーで雑談をし、その後温泉では無いが大浴場に早速浸かった。腕や顔が日に焼けて真っ赤になっている。

 

夕食前に只見線の電車を見よう、と言う事で駅に向かう。

暫くするとディーゼル車が入って来た。

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電車の事は詳しくない二人、ディーゼル車の変速はどうなっているのかな?」「オートマチックトランスミッションなんだろうね」と想像する。

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その後、民宿に戻って夕食、観光客は我々を含めて3名だけで、残りの人はダムの復旧作業に携わる作業員の方々だった。

夕食は普通の旅館ほど豪華では無いが、心の籠った食事だった。

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ビールで乾杯、友人は地酒を堪能した。また、馬刺しも追加で注文した。

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食後、再度お風呂に入り、部屋で団欒、しかし、疲れが出たので、930分には布団に入って、就寝となってしまった。

 

翌日は東京へ戻る。当初の予定では新潟の小出から関越道に入り、東京へ戻る計画だったが、民宿のご主人のアドバイスで南会津から白川ICを目指し、東北道で帰る事とした。

民宿のご主人と奥さんを交えて記念写真

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ご夫婦でマラソンや山登りが趣味だそうだ。「もう一泊すれば、舞茸を夕食に出したのに」と言われてしまった。

それと、「民宿に泊まるのは初めてですか?」と尋ねられたが、そう言えば私は初体験だった。

 

ご夫婦に見送られ、まずは、只見の名所を見物、「田子倉湖の景色がいいよ」と言う事で田子倉湖に出向いた。

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展望台の上からコルベットを撮影、まるで1/24のプラモデルのようだ。

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田子倉湖をあとにして、一路南会津へ向かう。

里山風景を身ながらの楽しいドライブ

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途中、道の駅に立ち寄り、昼食、そして白川ICから東北道に入り、一路世田谷へ向かった。

 

今回の旅行は、行き当たりばったりの時間を気にしない、気楽なドライブ、車中ではくだらない雑談に終始し、何時ものイベントと異なって緊張感の全く無い、一味違う楽しい旅行となった。

 

何より、民宿の暖かいもてなしが嬉しかった。ただ、民宿と言うのは

一つ、自分で布団を敷き、朝にはその布団を片付ける事

二つ、ご飯と味噌汁は自分でよそいに行く事

 

自宅でも自分でやった事の無い事を経験出来た。

 

家内にそれを言ったら、「我が家でもその位自分でやりなさい、全く動かないんだから!」だと、おー怖い


さぁ、週末は北軽井沢だ。・・・別荘もそろそろ冬眠だ。

スプレンドーレふくしまは約260Kmを走って、裏磐梯がゴール。途中スタンプポイントに立ち寄り、また3連続のPC競技も行なった。1/1000秒を争う競技で上位に入るのは到底無理な話し。成績は聞かないで下さい。

1day競技なので、日帰り組も何名か居たが、我々は裏磐梯のロイヤルホテルに宿泊、仲間とワイワイガヤガヤ深夜まで楽しんだ。

翌日は、朝食後、皆さんとお別れをして、単独行動、まずは「喜多方」へ向かった。

地図も何も無い、有るのは小さな「ガーミン」のナビ一つ、「喜多方駅」と入力して出発した。

前日は雨、そして曇天で有ったが、今日は快晴、日ざしが眩しい。

早速磐梯山をバックに記念撮影

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喜多方駅に向かって走っていると、古い街並みが現れた。

そこで、またまた記念撮影

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こんな車で乗りつけので、ギャラリーが大勢集まって来た。

 

そして目的地の喜多方駅に到着

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この場所は交差点のど真ん中、でも車も人も少ないので、記念写真を撮った。

 

喜多方に来たのだから「喜多方ラーメン」、と言う事でラーメン屋さんへ行く事とした。

事前にネットで検索「駅から遠く、不便な場所なのでガラガラ」との情報からその店に向かうと、何と、人・人・人、ハーレーの軍団も居る。

みんながネットを見て「穴場」と駆けつけたようだ。

「待ってまでラーメンを食べる気にならないと二人の意見が一致し、そこの駐車場でUターンして喜多方の街を暫しドライブ、そしてスタンドで得た情報で「味平」と言う店に入った。

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お勧めは?と尋ねると「醤油のチャーシュー麺」との事、それを注文した。

私は薄味で、・・・・それが正解、丁度良かった。

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次に向かうのは「会津若松」、今回も駅を入力、カーナビに従って走る。

空は真っ青、早速写真撮影

何時もはイベントで時間に追われていて、ゆっくり写真を撮る事も出来ない。

今日は全くのフリータイム。

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会津若松駅に到着

早速、記念撮影

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会津若松の目抜き通りを走ろうとしたが、お祭りで道路が閉鎖、残念ながら広い道路から鶴ヶ城へ向かう。鶴ヶ城の周りを一周、お堀の傍に車を停めてまたまたカメラで「パチリ」

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会津若松は私も友人も来たことがあるので、この位にして、今日の宿泊目的地である、只見に向かう。

勿論、今回も「只見駅」と入力、カーナビの言うがままに走ると、来た道を戻っている。

会津若松ICから高速に入り、次の会津坂下で下りる。後は一般道をひた走り、只見に向かう。

只見には行った事が無い、道路状況もつかめない。「この車で走れるのかな?」と不安になる。

 

途中、道の駅が有ったので、そこに立ち寄り、情報を得る。新潟ナンバーの車を見つけて、「只見に行くけど、この車で行く事が出来ますか?」、何か不思議な顔をして、「この車に何か問題があるのですか?」と、言われ、「いえ、こんな車幅の車が通る事が出来るのですか?」と言うと、「ダンプカーも走っていますよ」と笑いながら言われてしまった。

安心して、二人でソフトクリームをゲット

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JAFの会員だと50円の割引、特をした気分だ。

 

早速出発、一路只見へ、

道路は広く大変走り易かった。大いなる勘違いと二人で大笑い。

 

暫く走ると、只見線の陸橋が見えた。

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只見線沿いをひた走り、夕刻に只見駅到着

早速、写真撮影

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さあ、宿探しだ。朝方ロイヤルホテルで只見の旅館の状況を聞いている。

「連休明けなのでどこもガラガラですよ」と。

 

安心して、駅に自転車を止めようとしている女性に尋ねる。

「旅館を探したいので観光協会の場所を教えて下さい。」

するとその女性から目の前を指差して「ここが観光協会です。私がその職員です」と言われ、ビックリしてしまった。

早速宿を尋ねると、「有るかなぁ?、殆どの旅館が満室ですよ」と言われ、またまたビックリ、

昨年の7月の豪雨で只見川が氾濫して、その復旧作業で大勢の職人さんが入っていて、旅館は満室だそうだ。

「民宿でもいいですか?」との問いに「何でも結構です」

暫くいろいろと電話を入れてくれて、ようやく見つかった。「只見荘を確保出来ました」

「只見荘って何処ですか?」「その目の前の民宿です」

駅の真ん前の民宿であった。

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早速、その民宿にチェックイン、一安心となった。

 

何の知識も無く、ネットを適当に見ていたが,大いなる勘違いが多かった。

 

まずは、10月1日に只見線が開通したのは知っていたが、小出から只見までで、会津方面はまだ寸断されていた事、そして旅館はその復旧事業で満室であること。

一番の勘違いは只見までの道路は車幅もあり、適度なワインディングロードで快適で有ったことである。

やはり、旅をする時は少しは事前調査が必要と実感した。

 

つづく

同窓会だ、孫の運動会だ、で遅くなってしまったが、スプレンドーレふくしまの続編である。

今回はイタリア車、
まずは、1939年 FIAT 508C ALA D’ORO ちょっと余り耳にしない車である。
しかし、ラフェスタ等では時々出場している。


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いかにもイタリアのカロッエリアが作った車、
ベースがFIAT508Cと言う事、
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フロントグリルはこの様に特徴がある。
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でも、1939年製????、戦前である。ちょっと疑問が生じる。
確かに508Cは1932年から作られているが、この車はどう見ても戦後の1940年代後半に作られたデザインに見えてしまう。
スタンゲリーニが関与していた様だし、「Ala d’Oro」はイタリア北部の小さなボディー工房、

まあ、508Cだから1939年のモデルがベースになっているのだろう。


次に、私の大好きなメーカー「ALFA ROMEO」
私が最初に購入した外車は1967年のスパイダーデュエット、就職して1年目のご褒美で買った車である。
その後何台かアルファを乗り継ぎ、また、友人にオーナーズクラブ員が居た事も有って、様々なアルファに接していた。
私はAlfestaでは無いが、時々オーナーで「私のロメオは・・・・」と話をする人がいるが、「ロメオでは無いだろうアルファだよ」と心の中でつぶやいている。
1910年に「Societa Anonima Lombarda Fabbrica Automobili」が設立され、その頭の文字が「ALFA」であり、その後、「Nicora Romeo」が加わり、「ALFA ROMEO」になった、と記憶している。

初期のエンブレムには「ALFA」だけの文字のものがある。
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さて、まずは、1956年の{ジュリエッタ・スパイダー」
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アルファやフェラーリと言えば「イタリアン・レッド」と思うが、このブルーも大変似合っていた。
また、素晴らしいエクゾーストノートを響かせて走っていた。
これが、国営企業の車とは到底思えない。
国営企業になっても、そのスピリットを貫き通した姿は日本では考えられない、流石ラテンの国「イタリア」である。

次に、1960年ジュリエッタSS
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SSとはスプリント・スペチアーレの事、また、これはジュリエッタとの事なので、1300CCの排気量なのかな?
ジュリエッタと言う名前からジュリアに進化する過程もとても国営企業と思えない「お洒落」な事である。

2年前のあるイベントで山道を4台のSSが前方を走っている姿は今だに目に焼きついている。
「日本にこんなにSSが有るの!、それが4台纏まって走っている!!」と、
やはり当時は手作りに近かったのか、全てのSSのルーフが微妙に異なっていた。

今回の総数50台程度と小規模だったので、アルファはこの2台だけだったが、やはり歴史有るアルファロメオは存在感の有る車であった。

次回はイベントを終えて、私と友人との笑ってしまうような、漫遊記を・・・・・

「スプレンドーレふくしま」に国産車も数台エントリーしていた。
トヨタ2000GT、ホンダS800、ホンダS500、コンテッサ・クーペ、スプリンター・トレノなど、ベレット1600GTRもエントリーしていたが、残念ながら会場へ来る途中で故障したそうだ。

まずは、TOYOTA2000GTを紹介します。
この車はトヨタとヤマハで共同開発した車、それについては諸説いろいろありますが、今回エントリーした2000GTは1970年式と言う事で後期型になると思う。
色は「ゴールド」なのかな?
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スタートして直ぐに高速に入り、暫く走っていると、2000GTが追い越して行った。
ナビとして高速なので何も行なう事も無いので、カメラをムービに切り替えて2000GTの後姿を撮影した。


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隣りに見える、カプチーノがいい走りをしていた。

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30分間、前方の2000GTを見ながら、相方とこの車の生い立ち、エンジン、シャーシ、そしてスタイルなど、うんちくの馬鹿話しを行なっていた。
それにしても、このボディー形状を5ナンバー枠に収めたデザイナーは立派なものだ。

次に今回一番驚いたのは、HONDA・S500が2台出場した事だ。ホンダのSと言えば、殆どがS800、稀にS600を目にする事はあるが、S500は珍しい、それが2台出場したのだから
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S800も2台出場したので、総勢4台の参加であった。
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この黒いS500の走りはアッパレである。前回のイベントで前を走っているこのS500には追い付く事が出来なかった。コーナーはノーブレーキでミズスマシの様に走って行く。

昼食会場でこのオーナーとお話しをした。彼曰く「今回はエンジンの調子が悪く、吹け上がらない」との事、「エンジンは何回転回っているのですか?との質問に「約5000回転」との返答、

「本田宗一郎さんも鈴鹿やいろいろな場所でテストは行なっただろうけど、2時間5000回転キープは想像もしていなかったんじゃないのかな?」と相方と話し、
その後、エンジンを冷やしたの良かったのか、エンジンが回復し、凄い速さでかっとんでいった。

その他の国産車であるコンテッサ・クーペとスプリンターには走行中に出会う事は無かった。

次回はイタリア車を・・・・・つづく

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