Piccolo Mondoの部屋

Yahooブログから引っ越して来ました。30年から50年前の「古い車」や「ミニカー」の事をお話しさせて頂きます。 老人のたわごととしてお聞き下さい。

2011年04月

昨日のロイヤル・ウエディングは全世界で20億人の人が見ていたようだが、私もその一人、録画もしてしまった。
アストンマーチンDB6(1970年式かな?)で登場したのには驚いた。
美しい「ロイヤル・ブルー」のボディー、フロントグリルには「L」のマーク、確かあれは、イギリスの「初心者マーク」だったと思う。「結婚の初心者」と言う洒落で付けたのかな?
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さあ、明日から北軽井沢へ出向く、数日現地でのんびり、と思っていたら、前橋在住の次男家族が3日~5日に来るそうだ。
生後1ヶ月の「ヒナちゃん」そして間もなく4歳の「サーチャン」の来襲、一番迷惑なのは愛猫だろう。
 
私は途中逃げ出して、雪の回廊にでもドライブに行こうかな?
 
荷物や愛猫を連れて行くので、普段の足車(メルセデス・ベンツ C36)を使用する。
本当は高原をオープンカーで走りたいけど、それはまた別の機会に。
 
これから準備に入ります。
 
 
 

今日は昨日の強い雨が嘘の様に晴れ渡った「ピーカン」の天気、

私の35年以上前からの友人の車が出来上がったのでその試乗会を行なった。

彼は私を「師匠」と呼んでいる。彼が中学生時代から知っていて、模型や車の事をいろいろと教えてあげた。

今では私より遥かに模型も車も造詣が深いと思う。「師匠」と呼ばれるとこそばゆい。

そんな彼がこの数年「CHEVRORET CORVETTE Sting Ray 1965」のレストアを行なっていた。

ようやく出来上がり、私の元へ報告がてら持って来たのである。

朝の10時30分にコルベットで我が家へ来た。
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純白のコルベットが眩しい、FRPボディーを繁々と眺める。大変綺麗なボディーライン、流石に模型青年だけ有って、見事に復元されている。

多分新車の時よりハイライト・ラインが上質だと思う。
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エンジンは現在OH中で替わりの「カマロ」の5リッター200馬力が載っている。
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簡単に他のエンジンを載せられる所がアメ車のいいところである。

幌は張ったばかりなので、収縮を考えて暫くはこの状態で保管、伸びきった所で再度微調整を行うようだ。

この車で第三京浜を港北までドライブ、本来なら5358CCの300馬力、しかしながら200馬力でも胸の空く加速に大満足だった。

インテリアは緑色、ダッシュボードも美しい、「ダッシュは張り替えたの?」

「いいえ、缶々スプレーで塗りました」

当に1/1のモデルカーの感覚である。
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それなら、この車で6月に行なわれる「スプレンドーレ伊香保」に出場しよう、と言う事になって、早速伊香保おもちゃ博物館の横田館長へ連絡を入れた。

横田館長曰く「miyakiyaさんから出場の申し込みが来ないので近々に出向いてお願いしようとしていた所です、大歓迎です」との返事を頂いた。

6月5日にTACCミーティングで仲間のメンバーにお披露目、そして10日からのスプレンドーレで「レース・デビュー」となる。

余りにもいい天気で良い写真が撮れなかったのが残念である。

私の腕と安物のデジカメではこれが限界かな?

倉庫の片隅から写真が出てきた。

もう30年以上前の写真、この写真に写っている息子は当時1歳位、今では36歳だから35年位前の写真である。

この息子も今では7歳と4歳の子持ちである。
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1975年の12月にDINO 308GT4が手元に届いた。
その翌年に308GTBが発表になったので、即それを注文、GTBが到着するまでこの308GT4に乗っていた。
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308GTBの横には1973年式のポルシェカレラRS、これは三和自動車の正規デーラー車である。

和田浩二さんと写っている写真は名古屋のスパーカーショーの時、
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365GTB4BBの友人と一緒に名古屋まで出かけた。京都の撮影所から掛けつけた和田浩二さんと外に出て談笑中、スーパーカー大好きな少年少女が多数いた。
「サインを下さい」との声、やはり和田浩二さんは俳優、サインを求められるんだな!と、思っていたら、「Miyamiyaさん、サインを下さい」だと。

ビックリ、そして気まずい空気が流れたのを思い出す。

当時、ファンレターが何百通と我が家に届いた。私の住所は「世田谷区」までしか公表していなかったが、郵便局が探し出して私の手元に届けた。

殆どの手紙が「写真を下さい!」だった。

私はそれら全てのちびっ子に写真を焼き増しして送った。勿論無料で。

後は、「今度何月何日に修学旅行で東京に行くので、面会したい」との手紙もあった。それらは丁重にお断りの連絡を入れた。

パソコンも携帯もデジカメも無い時代、ゆるゆると時間が流れていたのが懐かしい。

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